染井霊園事務所でもらえる霊園案内図より。
氏名 | 墓石の位置 | 歿年月日 | 事績 | |
あ行 | ||||
饗場(あえば)篁村 | 2種ハ8号16側 | 大正11年6月20日 68才 | 作家。江戸時代から明治への過度期に、橋渡しの役割をした。 | |
淡島寒月 | 1種イ8号10側 | 大正12年2月23日 68才 | 元禄期の文学井原西鶴を紹介した。 | |
石川倉次 | 1種ロ13号4側 | 昭和19年12月23日 86才 | 日本点字の創始者である。 | |
石川一郎 | 1種イ10号4側 | 昭和45年1月20日 84才 | 化学工業界の第一人者。日本経済団体連合会会長になった。 | |
伊藤道郎 | 1種イ4号2側 | 昭和36年11月6日 69才 | 三浦環に声楽を学んだが、アメリカで舞踏家として活躍した。 | |
井上範 | 1種イ12号2側 | 昭和7年6月24日 56才 | 若松港および神戸港を築くことに功績があった。 | |
巖本善治 | 1種イ4号13側 | 昭和17年10月6日 79才 | 明治20年女学校教頭、同25年校長に就任した。 | |
巖本真理 | 1種イ4号13側 | 昭和54年5月11日 53才 | ヴァイオリンを学び、早くから独奏者として活躍した。 | |
海野勝a | 1種イ6号1側 | 大正4年10月6日 72才 | 彫金界の第一人者であった。 | |
大田黒元雄 | 1種イ4号4側 | 昭和54年1月23日 86才 | 日本の楽壇における評論活動の先駆者であった。 | |
岡倉天心 | 1種イ4号14側 | 大正2年9月2日 52才 | 日本文化を世界へ紹介した。 | |
奥宮健之 | 1種イ12号2側 | 明治44年1月24日 55才 | 大逆事件で死刑となった。旧自由党員であった。 | |
小河(おごう)一敏 | 1種ロ1号4側 | 明治19年1月30日 74才 | 尊皇攘夷激派の志士。「王政復古義挙録」を残した。 | |
か行 | ||||
梶田半古 | 1種イ4号2側 | 大正6年4月23日 48才 | 日本画家。代表作に「春宵惣」「秋」がある。 | |
北田薄氷(うすらい) | 1種イ4号2側 | 明治33年11月5日 25才 | 作家、処女作に「三人やもめ」がる。梶田半古の妻であった。 | |
勝沼精蔵 | 1種イ4号19側 | 昭和38年11月10日 78才 | 内科医学者。血液学では、国際血液学会長も勤めた。 | |
樺山資紀 | 1種イ3号12側 | 大正11年2月8日 86才 | 海軍大将。台湾総督になった。 | |
川田小一郎 | 1種イ4号17の2側 | 明治29年11月13日 61才 | 三菱の発展に力をつくした。明治22年日本銀行総裁となった。 | |
陸(くが) 羯南(かつなん) | 1種イ8号10側 | 明治40年9月2日 51才 | 新聞「日本」を創刊し、官僚・幕藩を常に攻撃した。 | |
熊谷直彦 | 1種ロ6号4側 | 大正2年3月8日 86才 | 明治17年絵画展覧会に優賞、同37年、帝室技芸員となった。 | |
高良斎 | 1種イ3号1側 | 弘化3年(1846) 9月13日 48才 |
幕末の眼科医。シーボルトについて学んだ。 | |
五島美代子 | 1種イ8号3側 | 昭和53年4月15日 79才 | 歌人。歌集に「暖流」「丘の上」などがある。 | |
さ行 | ||||
阪本四方太 | 1種ロ13号4側 | 大正6年5月10日 45才 | 俳誌「ホトトギス」で活躍した。 | |
笹川臨風 | 1種ロ10号7側 | 昭和24年4月13日 80才 | 新しい俳句誕生に貢献した。美術史の研究と評論も行なった。 | |
幣原喜重郎 | 1種イ4号20側 | 昭和26年3月10日 79才 | 昭和初期に協調外交を行い、戦後首相として新憲法を制定した。 | |
下岡蓮杖 | 1種ロ6号5側 | 大正3年3月3日 92才 | 日本における営業写真館を最初に開いた。 | |
下條康磨 | 1種ロ2号4側 | 昭和41年4月25日 81才 | 政治家・統計学者、吉田内閣の文相を勤めた。 | |
下瀬雅允 | 1種イ12号2側 | 明治44年9月6日 53才 | 下瀬火薬を発明した、日露戦争でこの火薬が威力を発揮した。 | |
末弘厳太郎(いずたろう) | 1種イ8号4側 | 昭和26年9月11日 63才 | 日本における労働法学の開拓者であった。 | |
杉亨二(こうじ) | 1種イ6号11側 | 大正6年12月4日 89才 | 統計学者。日本最初の近代的人口調査を実施した。 | |
関根正直 | 1種イ4号14側 | 昭和7年5月26日 73才 | 国文学者。「古事類苑」の編さんに参画した。 | |
た行 | ||||
高田早苗 | 1種イ3号23側 | 昭和13年12月3日 79才 | 大隈内閣の文相に就任。早稲田大学総長を勤めた。 | |
高嶺秀夫 | 1種イ3号7側 | 明治43年2月22日 57才 | 東京師範学校長になる。教育法の革新をはかった。 | |
高村光雲 光太郎・智恵子 |
1種ロ6号1側 | 光雲-昭和9年 83才 光太郎-昭和31年 73才 |
光雲-彫刻家。光太郎-詩集「道程」「智恵子抄」などがある。 | |
高安月郊 | 1種イ10号1側 | 昭和19年2月26日 79才 | 戯曲作家。代表作に「江戸城明渡」「桜時雨」がある。 | |
多田北烏(ぼくう) | 1種イ1号20側 | 昭和23年1月1日 58才 | 戦後における講談社のさし絵画家であった。 | |
田村直臣 | 1種ロ10号7側 | 昭和9年1月7日 79才 | 苦学生のために「自営館」を開いた。 | |
坪井誠軒 | 1種イ8号6側 | 嘉永1年(1848) 11月8日 54才 | 蘭方医学の先覚者。門人は緒方洪庵など多数いた。 | |
坪井信良 | 1種イ8号6側 | 明治37年11月9日 82才 | 坪井誠軒の養子。元治1(1864)年将軍奥医師になった。 | |
坪井正五郎 | 1種イ8号6側 | 大正2年7月12日 51才 | 人類学に業績を残し、コロボックル説をとなえた。 | |
寺本義久 | 1種イ3号5側 | 明治9年10月30日 30才 | 警視庁警部補。明治9年10月の「思案橋事件」で殉職3号となった。 | |
藤堂高献(たかゆき) | 1種ロ4号8〜12側 | 明治28年2月9日 80才 | 伊勢津藩主。備考-総高500cm | |
な行 | ||||
長瀬富郎(とみろう) | 1種イ5号36側 | 明治44年10月26日 48才 | 明治時代の実業家。花王石けんの創業者となった。 | |
長田秀雄 | 1種イ8号5側 | 昭和24年5月5日 64才 | 小山内薫らの新劇運動に入り、史劇を発表した。 | |
野村文夫 | 1種イ5号35側 | 明治24年10月26日 56才 | 「団団珍聞」を創刊し、週刊誌発行の草分けとなった。 | |
は行 | ||||
萩野由之 | 2種ハ6号39、44側 (区道沿い、大神宮墓地内) |
大正13年2月2日 65才 | 従来の和歌-桂園派を攻撃し、和歌の改良をめざした。 | |
波多野精一 | 1種イ6号6側 | 昭和25年1月17日 73才 | 哲学者。ギリシャ哲学の原典研究の道をひらいた。 | |
浜尾新 | 1種イ4号1側 | 大正14年9月25日 77才 | 明治26年東京帝国大学総長。大正13年枢密院議長になった。 | |
浜尾四郎 | 1種イ4号1側 | 昭和10年10月29日 40才 | 浜尾新の息子。多くは探偵小説を書いた。 | |
土方久元 | 1種ロ6号12側 | 大正7年11月4日 86才 | 明治維新の功労者。薩長連合の運動につとめた。 | |
土方与志 | 1種ロ6号12側 | 昭和32年6月4日 59才 | 小山内薫とともに築地小劇場を建設した。演出家。 | |
平田銕胤(かねたね) | 2種ハ6号39、44側 | 明治13年10月25日 82才 | 国学者。明治2年に天皇の侍講になった。 | |
福岡孝弟 | 1種イ8号3側 | 大正8年3月7日 85才 | 五箇条御誓文の草案を起草した。 | |
福田英子 | 1種イ4号11側 | 昭和2年5月2日 63才 | 日本における婦人解放運動家。自叙伝「妾(わらわ)の半生涯」がある。 | |
藤岡作太郎 | 1種イ11号3側 | 明治43年2月3日 40才 | 近代的国文学の礎を作った。 | |
二葉亭四迷 | 1種イ5号37側 | 明治42年5月10日 46才 | 小説家。言文一致体を主張し、「浮雲」を著した。 | |
ま行 | ||||
松浦武四郎 | 1種ロ10号2側 | 明治21年2月10日 71才 | 明治政府のもとで、「北海道」の名付け親となった。 | |
三上参次 | 1種イ13号1号 | 昭和14年6月7日 75才 | 歴史学者。国文学史の開拓者としての功績も大きい。 | |
水原秋桜子 | 1種イ3号1側 | 昭和56年7月17日 88才 | 俳人。俳誌「ホトトギス」で活躍し、のち「馬酔木(あしび)」を主宰した。 | |
宮武外骨 | 1種イ3号21側 | 昭和30年7月28日 90才 | 個人雑誌のはじまりをつくる。「頓智協会雑誌」で不敬罪になった。 | |
や行 | ||||
山田文應 | 1種イ2号3側 | 明治32年5月21日 70才 | 染井霊園の開設の祖、僧侶。 | |
山田美妙 | 1種ロ10号9側 | 明治43年12月24日 43才 | 言文一致の文学を主張して「武蔵野」を発表した。 | |
安岡正篤 | 1種ロ6号14側 | 昭和58年12月13日 86才 | 東洋哲学者。金鶏学院日本農学校を創立。全国師友協会会長。 | |
結城素明 | 1種ロ6号12側 | 昭和32年3月24日 82才 | 日本画家。自然主義をとなえた。 | |
わ行 | ||||
ローデスカ・ワイリック | 外人墓地 | 大正3年4月30日 57才 | アメリカの宣教師。ハンセン病患者や日露戦争の負傷兵の看護にあたり、「東洋のナイチンゲール」と呼ばれた。 | |
若槻礼次郎 | 1種イ8号1側 | 昭和24年11月20日 84才 | 大正末期から昭和初期の政治家。首相、民政党総裁を勤めた。 | |
若松賎子 | 1種イ4号13側 | 明治29年2月10日 23才 | 作家。翻訳の作品にすぐれていた。巖本善次の妻であった。 |
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