鮎川 義介あゆかわ ぎすけ

墓石の位置:10-1-7-1
主要経歴:実業家、政治家。日産コンツェルンの創始者

明治13年(1880年)11月6日 - 昭和42年(1967年)2月13日

1880年(明治13年)、山口県氷川郡大内村(現在の山口市大内地区)に生れた。

1903年(明治36年) 東京帝国大学工科大学機械科を卒業。芝浦製作所に入社
1909年(明治42年) 井上馨の支援を受けて戸畑鋳物(現日立金属)を創立
1928年(昭和3年) 久原鉱業の社長に就任し、同社を日本産業(日産)と改称
1933年(昭和8年) 自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車)よりダットサンの製造権を無償で譲り受け、
1933年12月ダットサンの製造のために自動車製造株式会社を設立
1937年(昭和12年) 日産を満州国に移し、満州重工業開発株式会社として初代総裁・相談役に就任。
同時に満州国顧問、貴族院勅撰議員、内閣顧問を兼務
1943年(昭和18年)11月17日 藤原銀次郎が東條内閣に入閣すると、五島慶太、鈴木貞一らと内閣顧問に就任
1953年(昭和28年) 帝国石油社長、石油資源開発社長。参議院議員に当選。

『ウィキペディア(Wikipedia)』


 
 
 

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