吉野 作造よしの さくぞう

墓石の位置:8-1-13-18
主要経歴:政治学者

1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日

1878年(明治11年)、宮城県志田郡大柿村(現・大崎市)に生まれた。

1904年(明治37年) 東京帝国大学法科大学政治学科卒業
1906年(明治39年) 中国に渡り、袁世凱の長男の家庭教師等を務め
1909年(明治42年) 帰国し東大法科大学助教授就任
1914年(大正3年) 東大 政治史講座教授
1915年(大正4年) 法学博士
1916年(大正5年) 評論「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表
1918年(大正7年) 「頑迷思想の撲滅」をめざす黎明会を結成
1924年(大正13年) 東大教授の職を辞任、東京朝日新聞に編集顧問兼論説委員として入社、退社、東大の講師
1927年(昭和2年) 女子経済専門学校(現東京文化学園)理事・教授
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